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弥生時代:近江の玉作遺跡の具体例
近江の玉作遺跡で代表的な遺跡の遺構・遺物について紹介します。
横山遺跡(弥生時代中期:多数の玉作工房と関連遺物のある遺跡)
1986・1988年(昭和61・63年)学校改築に伴い,高月町教育委員会によって発掘測査されました。

遺跡のあるところ

びわ湖の湖北、湖岸から2kmほどの位置に、弥生時代中期を中心とした竪穴住居状遺溝・方形周溝墓・土壙・溝・掘立柱建物などが発見されています。玉作り関係の遺物として、碧玉片・施溝のある未成品・石鋸・玉砥石などが竪穴状遺構ほかから出土しました。
この地域は、弥生時代後期の大規模玉作遺跡である高月南遺跡や古墳時代早期に大規模な玉作遺跡として出現する物部遺跡と同じ地域にあります。野洲川下流域と並ぶ玉作生産地域でした。

見つかった遺構

竪穴状遺構は全部で25棟ほど見つかっており、工作用と考えられる土壙を持った竪穴が玉作工房と考えられています。1次調査で工房と考えられる竪穴遺構が6棟、南側の2次調査でも4棟以上が想定されています。これらの遺構は重なっている部分があり、全てが同時に存在していたのではなく、建て替えられています。
先に紹介した烏丸崎遺跡や市三宅遺跡の玉作工房が住宅用の丸型竪穴建物とほぼ同じ形状・規模であるのに対し、横山遺跡の玉作工房は小型の方形竪穴建物になっており、作業専用の建物と考えられます。
1次調査と2次調査の遺構は環濠沿いに数10m離れて並んでおり、この間にも玉作工房が存在していた可能性があり ます。近江だけだはなく全国的に見ても大規模な玉作集落であったと推定されます。
集落の本体は環濠の中心部にあったと考えられるので、玉作工房は環濠のそば、集落の端部に位置していたことになります。また、弥生時代中期の方形周溝墓が周辺にあることから、玉作工房が墓域にあったことになります。これらの様相も烏丸崎遺跡や市三宅遺跡によく似ています。
横山遺跡遺構図

横山遺跡遺構図
出典:発掘調査報告書(高月町教育委員会)
玉作工房跡
玉作関連遺物
横山遺跡 玉作工房(上)、玉作遺物(下)
出典:高月町史(高月町教育委員会)

見つかった遺物

発掘調査の後半時期に玉作関連遺物が見つかって、玉作遺構の可能性が判明しました。
しかし、この時期は近江での玉作遺跡が見つかり始めた初期であり、発掘調査開始時は、玉作関連遺物のような微細遺物の調査(土砂のふるい選別や水洗など)を想定した態勢や予算確保はされておらず、また、小学校の開校時期の制約もあって、十分な発掘調査ができなかった、と担当の方が回顧しています。
このため、玉作関連遺物は限られたものになっていると考えられます。

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