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弥生時代:近江での玉消費地
これまで、近江で玉製品を作っていたとされている遺跡を紹介してきました。
では近江で、玉製品を使用していた消費者としての遺跡はどこにあったのか?
玉製品の消費地に関する報告書は少なく、微力ながら分かっている範囲で紹介します。
玉製品の出るところ(消費地)
近江の玉作遺跡で作った玉製品はどこへ行ったのでしょうか?
近江で玉の完成品が少数出土するところはいくつもあるのでしょうが、発掘調査報告書の中に紛れ込んで、文献調査で見つけるのは難しいことです。
多量に玉製品が出土した場合、報告書にまとめらえるとともに、いろいろな形で発信されます。
このような観点で近江を見てみると、弥生時代に多量にまとまって出土するところはほぼ無いようです。
数個出土するところは調査しきれていないので、身近な例を紹介します。

玉作遺跡で見つかった玉完成品

弥生の玉作遺跡一覧で、完成品としての玉製品が出土した遺跡はわずかです。
  高月南遺跡、立花遺跡、大辰巳遺跡、湯ノ部遺跡、下之郷遺跡、烏丸崎遺跡
工房跡があるのは高月南遺跡だけで、他は沼地、溝や周辺地面などからでています。
この内、烏丸崎遺跡は玉作遺跡周辺ではなく、同じ遺跡範囲の方形周溝墓から多量に出ています。

烏丸崎遺跡(方形周溝墓)

烏丸崎遺跡の玉製品
烏丸崎遺跡の玉製品 玉類1(左) 玉類2(右)
写真:発掘調査報告書「烏丸・津田江湖底遺跡」
(滋賀県教育委員会)

烏丸崎遺跡に100基ほどある方形周溝墓の一つから玉製品が出土しました。
玉作工房とは離れたところにある1基の木棺の中から沢山の色鮮やかな89点の玉が見つかりました。 
玉の形や石材の質から、2組の腕輪または首飾りであったと結論付けられました。
1組は深緑色の碧玉製管玉とヒスイ製の勾玉43個を組み合わせた腕輪、もう1組は緑色系のヒスイ製の小玉、棗玉46個を組み合わせた腕輪でした。
ヒスイ製勾玉は厚みのない扁平でCの字形状も不完全です。管玉は直径がほぼ3mmと揃っており、長さは6mm〜12mmです。
もう一方の小珠の組合せは、直径9mm、厚み7mm 程度を平均としかなりばらつきがあり、色もまちまちで形状もいびつな状態です
石材の分析結果は、玉作工房で見つかった石材の剥片と同じ産地の可能性がたかく、ここの工房で作った玉かもしれません。
烏丸崎遺跡の方形周溝墓の墳丘は削り取られており、内部の木棺もほとんど残されていないので、他の方形周溝墓にも玉製品が副葬された可能性は残されています。
しかし、同時代の服部遺跡には360基もの方形周溝墓がありましたが、ここからは副葬された土器類は多量に見つかるものの、玉製品は見付かっていません。

下鈎遺跡(川辺の祭祀)

【弥生時代中期】
弥生時代中期の下鈎遺跡の祭祀域を流れる川辺には祭祀に使った土器や銅製品に加え、ヒスイ製の勾玉2個と碧玉製の管玉が2個見つかりました。
ヒスイの勾玉はこの地域で作ったものではなく、他のところからの搬入品でしょう。
首長の装身具だったのかもしれませんが、最終的には川辺の祭祀域で用いられました。
下鈎遺跡の玉製品
勾玉と管玉(弥生時代中期)
下鈎遺跡の玉製品
水晶片とガラス玉(弥生時代後期)
写真:下鈎遺跡発掘調査報告書 (栗東市教育委員会)
【弥生時代後期】
弥生中期の場所から300mほど離れたところに、後期の下鈎遺跡が営まれます。やはり大きな川が集落の中を流れており、川辺の祭祀が行われていました。
ガラス玉は川辺の祭祀場から、水晶片は川辺の祭殿の柱穴に埋められていました。
当時の玉製品を使った祭祀のあり方を伺わせます。
多くの玉製品はどこへ?
弥生時代中期に近江で栄えた数多くの玉作遺跡が製作した玉製品はどこへ行ったのでしょうか?
ひとつの可能性は、「烏丸崎遺跡、服部遺跡のいくつかの方形周溝墓に玉製品が埋納されたが洪水や後世の開削でなくなってしまった」のか、有力者の墓は他にはなかったのか、なのでしょう。
また、多くの玉製品を副葬した首長の墓が未発見ということもあり得ます。
他の可能性は、玉作遺跡のなかった畿内へ輸出されたことです。
北九州の墳墓から出土した玉の科学的分析から判明している「北陸・山陰・近畿北部から北九州へ輸出された」碧玉製の管玉の一部に近江の管玉があったかも知れません。
北九州の別の墳墓からでた碧玉製管玉は、近畿・鳥取西部からもたらされたものだと判定されたいます。
このような玉の流通経路が成立している以上、近江の管玉もこのルートで流された可能性は大きいと考えられます。
もう一つの可能性として、代替貨幣として物々交換に使用されるケースです。
弥生時代中期、銅鐸が盛んに作られました。原料となる金属は中国や朝鮮半島からもたらされていることが分かっています。
これらの金属を入手するための対価は何だったのでしょうか? それが玉製品であったことは十分考えられます。 


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