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近江の玉作遺跡を説明する前に、全国ベースで玉作遺跡がどのように分布し、どのような製品を作っていたのか概観します。
縄文時代から古墳時代までの全国の玉作遺跡の分布を見てみます。
情報ソースは「日本玉作大観」(2004)で、寺村光晴さんの「序説」に記載されている「主要な玉作遺跡の分布」です。
「発掘される遺構の状況」のところに書いたように、玉作遺跡としてあげられる遺跡は数多いものの「玉作が実際に行われていた遺物の一括出土」は多くはないのです。上の資料は「主要な・・・」と注釈があるので、実際に玉作を大がかりにやっていた遺跡と見ていいでしょう。
(2004年以降に見つかった主要な遺跡は記載されていません。)
縄文時代の玉作遺跡
縄文時代の主要な玉作遺跡は富山県、新潟県、長野県北部にまとまって見つかっています。
この時代に用いられたヒスイの原産地が新潟県糸魚川、滑石が長野県の北部の白馬岳だったため、これらの地域で玉作が行われたようです。
縄文時代の玉作遺跡分布
縄文時代の玉作遺跡の分布
出典:日本玉作大観
縄文時代の玉製品

縄文時代の玉製品
写真:東京国立博物館

大珠とか垂玉(たれだま)と言って、ヒスイや滑石を涙形や楕円状あるいは棒状に削り、ひもを通す孔を開けてあります。
ペンダントのように、首からぶら下げていたのでしょうが、大きさはまちまちです。 垂玉のほかには、縄文時代に用いられた切れ目のある環状の耳飾り(けつ状耳飾:けつじょうみみかざり)や勾玉なども作られていました。 
このような玉製品は、数は多くないものの、日本列島の広い範囲で見つかっており、縄文時代から広域での交流があったことを伺わせます。

まとめ

・垂玉や耳飾りなど個々に使う玉製品であった。形状も定型化していない。
・初期は滑石など柔らかい石が圧倒的に多かったが、硬玉・琥珀なども使われる。
・生産形態はよくわからないが、石器製作の技術の展開であろう。

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