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弥生時代:近江の玉作遺跡の具体例
野洲川下流域の玉作遺跡で代表的な遺跡の遺構・遺物について紹介します。
下之郷遺跡 (弥生時代中期後半: 玉作工房は無いが、関連遺物が一式出る遺跡)
下之郷遺跡は弥生時代中期後半に栄えた遺跡です。
この遺跡から、管玉製品、管玉未製品、工具類など少しずつですが一式出土しています。
工房は見付かっておらず、製作工房としての「玉作遺跡」だったのでしょうか?

遺跡のあるところ

下之郷遺跡遺跡
下之郷遺跡 遺構全体図
出典:下之郷遺跡発掘調査報告書(守山市教育委員会)
野洲川扇状地に近い氾濫原の微高地に営まれた大きな環濠集落で、三重の環濠が巡っていました。
環濠内部区域は、当時では珍しい独立棟持柱建物が建っていました。その他も、大型建物がばかりが立ち並ぶ拠点集落でした。
約40年間にわたる発掘調査で集落の様子が分かってきました。

見つかった遺物・遺構

玉作関連建物は見付かっておらず、大きな独立棟持柱建物、掘立柱建物、大陸系の円形・方形の壁立ち建物が数多く立ち並んでいました。
玉作工房に多く見られる竪穴建物は見付かっていません。また、他の玉作遺跡では周辺にお墓のあるケースが多かったのですが、それも見つかっていません。
少数ながら玉作関連遺物が一式見つかっています。
見付かった玉関連遺物と数量は;
管玉完成品(1)
玉石類:管玉未製品、形割石、剥片(11)
工具類:石鋸(3)、 砥石(1)
その多くが、中央西側の大型建物が密集しているところから見つかっています。環濠の中からも4点見つかっています
下之郷遺跡遺跡 遺構

下之郷遺跡 遺構遺構図
玉作関連遺物
下之郷遺跡 玉作関連遺物
出典:下之郷遺跡発掘調査報告書(守山市教育委員会)

下之郷遺跡は玉作遺跡か?

玉作遺跡として報告書類にリストアップされている遺跡の出土品を見ていると、たとえ少数の出土でも「玉作未製品・工具類」が出土する遺跡は「玉作遺跡」として掲載されているようです。
この視点から、下之郷遺跡も「玉作遺跡」としてリストに載せることは、この分野の通常の判断でしょう。
ただ他の遺跡の報告書を読んでいると、このようなケースをどう判定するか、報告者自身が迷いを述べています。
下之郷遺跡の状況を念頭に考えると;
・大型建物ばかりが立ち並ぶ下之郷遺跡の中心部で玉作作業をしていたのか?
・あるいは、掘立柱建物の中で玉作作業をしていたのか?
・他でも見られる竪穴式の玉作工房が未発見なのか?
などの疑問が湧いてきます。
玉製品は祭祀的・呪術的な性格を持つものであり、他の遺跡で川辺の祭祀や建物の柱穴に玉製品(完成品)だけではなく失敗した玉、玉のかけらなどが埋納されている例があります。下之郷遺跡の祭殿と考えられる中央の独立棟持柱建物の周辺に多いことから、私見ですが、玉製品は完成品だけではなく未製品・工具を含めて祀りごとに用いられたのではないかと思えます。

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