弥生時代:近江の玉作遺跡の具体例
野洲川下流域の玉作遺跡で代表的な遺跡の遺構・遺物について紹介します。
市三宅東遺跡(弥生時代中期前半:玉作工房があるが、関連遺物はそれほど多くない)
昭和57〜59年(1982〜1984年)の工場建設の時に見つかった、野洲市にある弥生時代中期前半に栄えた遺跡です。
この遺跡は、3棟の玉作工房と原石・未製品などの石製品と工具類が一括して出土していますが、
玉作技法を再現できるほどの剥片、未製品はありませんでした。
遺跡のあるところ
出典:古代の玉と玉作り(銅鐸博物館) |
前項に書いた烏丸崎遺跡に少し遅れて出現します。 工場建設に伴う、遺跡確認発掘で検出されました。ここから、玉作に関連する遺物と工房と思われる建物が3棟見つかっています。
見つかった遺構
工房周辺の遺構図を示します。方形周溝墓群とは溝を挟んで3棟の玉作工房がみつかっています。
工房1号、3号は、遺構がよく残っています。3号は建物としては小ぶりで、作業場か倉庫か、という感じです。
工房2号は排水溝にあたり全容は不明ですが、柱穴、中央土坑、玉作関連遺物から工房と判定されました。
工房1号は、4本柱の竪穴建物で、直径は6.5m、竪穴の深さは25cmの円形です。
多数の碧玉片や工具、玉作作業の痕跡が認められます。
市三宅遺跡遺跡の遺構図) |
市三宅遺跡遺跡の玉作工房1号 |
出典:古代の玉と玉作り(野洲市教育委員会) |
見つかった遺物
工房1号からは、大小百数十点の碧玉片や砥石や石鋸などの工具、研磨用の金剛砂、砥石で磨いたときに出るとぎ汁が沈殿した工作用ピットなどが見られます。また、珪質頁岩製の石針が30点も出土しました。
しかし、烏丸崎遺跡のような玉作技法を再現できるほどの剥片、未製品はありませんでした。
どうやら工房を閉じるときに内部の整理をして役目を終えたようです。
右3点:石鋸片 左下3点:石錐・未製品 左上段・中段各3点:碧玉管玉未製品 |
玉作工具 左3点:砥石 右:タガネ状石製品 |
市三宅東遺跡 出土遺物 写真:古代の玉と玉作り(野洲市教育委員会) |
ここでも石錐(石針)が見つかっていますが、製材は頁岩でした。(烏丸崎遺跡はメノウ製)
工房3号で見つかった砥石は右写真の右から2つ目で、何度も使っている痕跡を残し、当時の使い方が分かる興味深い品です。