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弥生時代:各生産地の特徴(近畿地方は次の節で)
これまで、玉作遺跡が見つかった場所や原石のあったところ、玉の流通などを概観しましたが、それぞれの生産地を見ると、技術の違いや作るものの違い、流通の形態の違いなどがあります。
北九州
真っ先に朝鮮半島から碧玉製玉製品やガラス玉が入ったところにも関わらず、自分たちで生産せず他所から受け入れていたのが特徴です。ただ、後期になってからわずかに玉作遺跡が認められます。 ガラス玉は積極的に受け入れたのち、中期には自分たちで作り始めます。
山陰地方・北部近畿(丹後地方)
九州から伝わった玉作技術を進化させながら継続して玉作を行います。柔らかい緑色凝灰岩は地元で、硬い碧玉は北陸より調達して玉を作り、北九州の王たちへ届けます。
ガラスや水晶・メノウなどの新しい素材も積極的に取り入れ発展します。
近畿地方
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北陸地方・佐渡島
北陸では早くから玉作が始まりますが、地域によって玉作の様相が違っています。
山陰・近畿の管玉は直径が約5mmで太身であるのに対し、北陸産管玉は直径が2〜4mmと細身で
特に佐渡島では直径約2mmの極細管玉を作っていたのが特徴です。
各地から出る玉製品
これまで各地の玉作の様相を記しましたが、各地の墳墓から出る玉製品は、バラエティーに富んでいます。その地で作られた管玉ばかりで構成された玉製品だけではなく、太さの違う管玉や勾玉、ガラス玉などが組み合わされたものもあります。これらは他所で作られた物を入手し、首飾りなどの製品として組み上げたものでしょう。
すなわち、玉製品が広い範囲で交流していたことを示しています。

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