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玉作の基礎知識:玉とは
ここでは玉・玉作に関する基本的な概要を書いており、別の章「玉作学習室」にもう少し詳細に情報を書いています。
玉作の用語
「玉」について説明する前に、呼び方や物としての認識などの基本的なことを説明します。

玉作? 玉造?

玉作、玉造、玉作り、玉つくり?  
考古学の資料や発掘報告書を調べていると、このような表記が使われています。
それぞれの研究者の思い入れがあるのでしょうが、このホームページでは「玉作」を用います。
考古学の世界では「攻玉(こうぎょく)」という言葉が使われることがあります。「玉をみがき加工する」 という意味ですが、「縄文時代の玉作」のことを指したり、「玉作を行う加工作業」のことを指したりします。
ここでは、統一して「玉作」とか「玉作工程」と記すことにします。

玉(ぎょく)とは

【鉱物としての玉】
東洋で宝石とされた石で,おもに翡翠 (ひすい) をさしますが,厳密には硬玉と軟玉の2種があります。中国では先史時代以来,珍重され,さまざまな工芸品,装身具の原石として用いられており、わが国でも縄文時代以来、装身具として使われていました。
硬玉(英名:Jadeite)は、翡翠輝石ともいい、硬度 6.5〜7、無色,白,緑ないし青緑色でガラス光沢を有します。
軟玉(英名:Nephrite)は、翡翠のなかで硬度の低いもので、硬度は6〜6.5で,半透明乳白色ないし深緑色。鉄やマンガンの不純物によって黄,茶,橙,青,紫色のものもあります。「翡翠」と呼ばれているものの、鉱物学的には異なるものです。
また、碧玉(へきぎょく、英名:jasper)と呼ばれる微細な石英の結晶が集まってできた鉱物も宝石として扱われており、古くから世界中で装身具として用いられています。「碧」は「あお」とか「みどり」と読まれており、色彩的には深緑色に混ざった色とされています。しかし、碧玉には不純物として酸化物が混入しているため不透明であり、不純物の違いによって、紅色・緑色・黄色・褐色など様々な色や模様のものがあります。硬度は7です。
ちなみに、石英の透明な結晶体が水晶と呼ばれます。
硬玉、軟玉、碧玉を総称して、英語ではジェイド (Jade)を使っています。
  注:ここで使っている「硬度」はモース硬度で、一番硬度が高いのはダイヤモンドの硬度10
【玉原石の産地】
上に述べた玉原石の産地と、次に紹介する、玉製品に使われる緑色凝灰岩(りょくしょくぎょうかいがん)の原産地を図に示します。
玉原石の原産地
玉原石の産出場所
出典:島根県立古代出雲歴史博物館

碧玉の産地は、日本に11か所あるとされています。図には省略されていますが、北海道にも3か所の産地があります。
遺跡から出土した碧玉製品の原石はどこから来たのか分からなかったのですが、1990年ごろから、藁科哲男さんの研究により、分析できるようになりました。
主に使われている碧玉の原産地は、松江市の花仙山産、豊岡市の玉谷産、小松市の菩提・那谷産それに佐渡島の猿八産の4か所に絞られています。
国内の碧玉は上に述べた通りですが、朝鮮半島からの碧玉も一部で使われていました。
緑色凝灰岩は日本海沿岸地方に広く分布しており、緑色で示しています。

玉作遺跡とは

これまでに「玉作遺跡」とか「玉作関連遺跡」と記していますが、特に説明がなくても「玉製品を作っていた痕跡が見られる遺跡」と解釈して頂けたと思います。
考古学の世界では、遺跡から「玉製品作りに関連する部材・製作途上品・工具・遺構」などの全部または一部が見つかった場合、「玉作遺跡」と呼んでいるようです。
なので、最終製品としての玉製品だけが出土する遺跡は「玉作遺跡」とされません。
ただ、「玉作遺跡」にも大から小まであって、片や玉作工房群と部材・工具などが多数出土する遺跡と、一方で、部材・工具が数点見つかる遺跡もあります。
後者の場合、「玉製品を作っていた遺跡」というには抵抗があり「玉作関連遺跡」と呼ばれることがあります。
考古資料としての玉

玉作遺跡で見つかる「玉」

考古学的に「玉作」というときには、貴石としての「玉」を用いた「玉製品」だけではなく、汎用の石を用い装飾や威信具として使われていた「石製品」を含めて対象としています。
【用いる石材】
用いられる石材は、貴石に該当する碧玉と、緑色凝灰岩と呼ばれる微細な火山灰が水中で堆積して形成された鉱物で、硬度は2〜5程度と幅が広い岩石です。淡緑色で比較的柔らかく加工がしやすく、玉作の原石として用いられました。上の図のように日本海沿岸に広く分布しています。
さらに硬度の低い灰色〜白色の「滑石(かっせき)」が玉作に用いられています。硬度1なので爪でも傷が付くような硬さです。考古学で用いる「滑石」は通称であり、鉱物学的には滑石、蛇紋岩、蝋石、泥岩、頁岩、緑泥片岩などに分かれます。
  注:硬度とは モース硬度のこと 一番硬いのがダイヤモンドで、硬度10
緑色凝灰岩も滑石も、宝石を意味する「玉」ではないのですが、作られる製品の形(勾玉や管玉、臼玉など)は同じであり考古学的には「玉作」として扱われています。
このほか、量は多くないのですが、水晶やヒスイ、メノウなども玉の原石として用いられています。
石材ではないのですが、溶けたガラスを鋳型に流し込んで作るガラス玉も、弥生時代から見られ、古墳時代には大々的に採用されます。石材を手作業で加工するのに比べ、多量の需要に対応するためには溶けたガラスを鋳型に流し込んで量産する方法で対応しました。
【玉製品】
玉の種類
玉の種類 イラスト:田口一宏

玉というと丸い球を思いがちですが、玉製品として有名なのは、勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)です。
形状がそのまま呼び名になっています。
勾玉にはいくつかの形状があり、それぞれ呼び名が付いていますが、ここでは触れません。
溶けたガラスを鋳型に流し込んで作るガラス製の小さな丸玉や臼玉(うすだま)は、形状ではなく素材を重視して「ガラス玉」と呼ばれているようです。


【石製腕飾品(石製宝器)】
石製腕飾品
石製腕飾品(石製宝品) 写真:東京国立博物館
同じ碧玉製品ですが、玉製品より格段に大きく手の込んだ精密な石製品が古墳時代前期に現れます。
腕を飾るために用いられたと言われている「石製腕飾」で、石釧(いしくしろ)や車輪石(しゃりんせき)、鍬形石(くわがたいし)があります。
古墳時代に作られた石製品ですが、もともとは貝殻を切断して作っていた貝殻製の腕輪を模して、碧玉や滑石で作ったものです。
物自体としては威信具や祭器になるので「石製宝器」とも呼ばれます。
【石製模造品】
石製模造品
滑石製品(石製模造品) 写真:滋賀県教育委員会
古墳時代中期になると、滑石で剣や刀子など物の形に似せた模造品が作られるようになり後期に拡大します。これらは管玉、勾玉などの「玉」の形ではないので単に「石製品」や物の形を模しているので「石製模造品」と呼ばれることがあります。
前期の石製腕飾品に比べると単純な形のサイズも小さなものになります。
滑石で石製模造品だけではなく、勾玉や管玉なども作られていました。硬度が全然違って柔らかく、簡単に作れるために量産に向いています。


玉の関連遺物

玉作を行うには、原石と加工のための工具がいります。
また、作業を行う建屋(工房)も必要です。当時の住まいは竪穴住居で、工房も竪穴建物でした。
発掘作業により、玉原石、加工途上の石材などとともに、道具や工房が見つかっています。
石斧
石斧 イラスト:守山市史
【玉作用工具】
工具と言っても弥生時代はまだ石器の時代であり、弥生時代中期末くらいに鉄器が近畿へ入ってきます。
鉄器が普及するまでは、玉を作るために石製の工具を使っていました。
基本的な加工工程を考えてみると;
・打ち割る  (叩き石)  現代:[ハンマー]
・切る、溝付け(石鋸)      [ノコギリ]
・面を整える (石の棒、鹿の角) [たがね]
・研ぐ、磨く (砥石)      [といし、サンドペーパ]
・穴を開ける (石錐、石針)   [きり、ドリル]

叩くための石や磨くための砥石(といし)は、今でも使うことがあり直ぐに分かりますが、面を整えるための鏨(たがね)はどうしていたのだろう? 切るためのノコギリや穴を開けるための錐(きり)や針はどうしていたのだろうか? などと疑問が湧きます。
石錐・石針
石錐・石針 写真:滋賀県教育委員会
石を割る、面を整える、磨いたりする工程は、木材加工用の石製道具作りや石製矢じりの製作の工程と変わらないので、当時の人たちにとっては難しい作業ではありません。大変なのは、管玉のように小さくて長さのある孔を開ける道具でしょう。
木工用に石錐が使われていましたが、管玉の孔のサイズは数mmから細いものでは1mm程度であり、図のような石錐では間に合いません。
そこで針のように細い石針が穴開け工具として作られました。
石錐でもいいのですが、細さを表現するために「石針」と呼ばれています。
玉作用工具
市三宅東遺跡の砥石と石鋸
写真:野洲市教育委員会

石針が管玉の穴あけに用いられたとするのが定説ですが、これらの石針は細いもので直径が約1mm、長さは、長いもので20mm程度です。
針の把持も考えると穴あけは難しいのではないかという学者もいます。
動物の小骨や細い竹の枝を使ったという説もあります。ここでは触れませんが、学習室で紹介することにします。
あと、原石や粗割した石を真っすぐに割るためには、石製の鋸(のこ)で切って溝を付け、そこを起点に割っており、ほぼ真っすぐな平面を持つ剥片(形割片)が取れました。
石鋸としては紅簾片岩(こうれんへんがん)と呼ばれる、四国や紀州で採収される岩石が用いられていました。
砥石(といし)は、日常的に使っていた石器の製作にも必要な工具で、きめの粗い粗砥石(荒砥石)からきめの細かい仕上げ砥石まで工程に見合った砂岩が用いられていました。
【玉作工房】
玉作工房跡
市三宅東遺跡の玉作工房跡
写真:野洲市教育委員会
このような玉作の作業は当時の建物様式である「竪穴建物」で行われていました。
原石の貯蔵用のピットや屑となる破片のピットなどが備えられており、研磨したとぎ汁を流し込むピットがあったりします。
各地で見つかる、工房と考えられる竪穴建物は、もっと簡素なものもあります。作業専用の建物なのか? 住居も兼ねていたのか? 
など研究者が調査分析していますが、ここでは触れません。
【加工の痕跡】
見つかった遺跡が本当に玉作加工をしていたら、石の加工の際に生じる小さな破片や玉を砥石で磨いたときに出る研磨汁、研磨剤として使う石英微粒子などが出てきます。これらの作業廃物が出てくると、そこで玉加工をしていたことが確実になります。

発掘される遺構の状況

【出土状況による分類】
発掘したときに、玉作をしていた建物と、工具類、加工途上の石、未完成の玉などがそろって出土する場合、ここが当時の「玉作工房」で、後世には「玉作遺跡」と呼ばれることになります。
工房が見つからないが、工具や石類、加工途上の未製品、加工時に出る石屑が多く見つかるケースや、あるいは少量の工具や未製品、石の剥片が見つかるケースもあります。
後者のように、数点の玉作工具や加工途上の石しか見つからないケースでも「そこで玉を作っていた」可能性があるので、「玉作遺跡」として扱われています。
各地の埋蔵文化財担当部署の発掘調査報告書に書かれている玉作遺跡の遺構、遺物を調べていると、次のようなケースに分けることが出来そうです。(報告書では分類していません)
 ケースA:玉作工房と工具類、原石、形割石、未製品などが見つかる
 ケースB:工房跡は見つからないが、多くの工具類、原石、形割石、未製品などが見つかる
 ケースC:全工程の工具類や石類は揃わないが、複数の玉作関連遺物が見つかる
 ケースD:工具と形割石など数個が見つかる
発掘調査報告書や図書でこのように分類して書かれているわけではありません。
その地の玉作勢力の規模や他地域との交流などを考える場合に、上のようなことを注意しながら読まないと、誤った見方をすることになります。
【散発的に遺物が出るケースDは何か?】
玉作に関わる遺物が出土したということで、「玉作遺跡」として報告されカウントされるわけですが、ケースDなど、本当にここで玉作の加工作業を行っていたのか疑問が湧きます。
ケースDでも、広範囲の発掘にもかかわらず少量の玉作関連遺物しか出ない遺跡は玉作遺跡の可能性は少なく、一方で、工具や未製品が見つかった場所の周辺が未発掘の場合は、今後いろいろな遺構や遺物が見つかる可能性があります。
実際に発掘調査をされている方が;
「工房と推測される遺構に伴って未製品、工具類が一括出土し、玉作の様子を知り得る遺跡は少ない。これに準ずる遺跡がもう少しあって、後の大半の遺跡では、関連遺物が散発的に検出されるのみである」
と言っています。
多くの玉作遺跡発掘現場でも同様の状況であり、「玉作遺跡としての評価」をする際に留意が必要となります。
玉作を研究している考古学者もこの点は気にしており、「日本玉作大観」を編纂された寺村光晴さんは、ケースDは祭祀の一環として一時的に玉作りをした可能性を示唆されています。
また、私見ですが、近江の玉製品の出土状況からみて、祭祀のための供物として完成した玉だけでなく、工具、未製品が用いられた可能性があります。すなわち、「玉作関連遺跡」ではなく「祭祀の痕跡」のケースもあるのではないか、という見方です。
【工房からの遺物が多いか?】
ケースDとは違い、工房が見つかるケースAでは遺物が多いかというと必ずしもそうではないのです。
玉作工房と言っても、専業的に長らく玉作を行った工房ばかりではありません。
また、計画的に工房を閉鎖した場合や移転した場合、これまで作業していた工房はきれいに片付けられてあまり遺物が出ないのです。これは、実際に発掘調査した方の感想です。
だから逆に、ケースCやDの場合でも、かっては工房であり閉鎖された可能性もあり得るのです。

mae top tugi