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孔あけ技法
前節でも述べましたが、弥生人にとっては石材の性質も加工方法も熟知し、汎用的・普遍的な技術であったはずです。しかし、朝鮮から伝わった管玉は細くて長い孔が開いており、これまでになかった加工技術を必要とするもので、特殊な専門技術であったと考えます。
管玉作りで最も難しいのは微細な精密加工技術を要するこの孔開け工程であったと考えます。
管玉のサイズ
穴開け技術に入る前に、管玉の孔のサイズがどれくらいなのかみておきます。
管玉の大きさからみて、大きくは3つに分けられます。
@佐渡・北陸(東部)の管玉   : 直径 2〜3mm、 穴径 1〜2mm 、長さ 1〜2cm
A山陰・近畿・北陸(西部)の管玉: 直径 4〜6mm、 穴径 2〜3mm、 長さ 1〜2cm
B共通(太径管玉、少数)   :直径 7〜8mmそれ以上
この間のサイズの管玉もいろいろあるし、@Aの地域も固定的ではなく、異なるサイズの管玉も作っていました。 
鉛筆の芯と縫い針
鉛筆の芯と縫い針 イラスト:田口一宏

ここで特徴的なのは、佐渡の極細管玉で、管玉の径が2mm、中心の孔サイズが1mm程度の小径のものがあり、中には0.7mmのような微小なものもあるようです。
技術的には@の管玉作りはAより余程難しいものと推察できます。
そのような孔をどのようにして開けたのでしょうか?
孔を開ける道具は、これから述べる石製の針なのですが、太さ1mmの細く真っすぐな針をどのようにして作ったのでしょうか。
難しさの感覚をつかんでいただくには、「鉛筆の芯に縫い針で孔を開ける」ことを想像してください。
石針による穿孔

石針の形状

多くの玉作遺跡で石針が見つかっています。メノウ製や安山岩(サヌカイト)、珪質頁岩製で太さは鉛筆の芯やシャ−プペンシルの芯程度で、長さは1〜2cmです。
形状は四角形や多角形、丸い形のものなど様々ですが、丸い形に作ったのか、孔開けに使った結果、角が取れて丸くなったのか、意見の分かれるところです。
長さについても、使用痕のあるものは摩耗した後の長さであって、新品の時にはもっと長かったはずです。太さについても同じことが言えて、0.5mmや0.7mm径の石針は側面が摩耗して細くなったという見方もできます。
ただ、1mm程度の孔が開いた管玉が存在しており、サブミリの石針が使われていたことは確かでしょう。
石針 石針
烏丸崎遺跡出土の石針 (写真:滋賀県教育委員会)

石針の作り方

石針の作り方は、管玉作と同じ加工工程であったと推定されています。メノウや安山岩の細長い剥片が見つかっており、管玉に用いられた押圧剥離の手法を使って細くしていったとされています。
四角柱の石針ができたのち、四角いまま使ったのか、八角形にして使ったのか、円筒状にして使ったのか、これらどれもの形状の石針が見つかっているので、どれが正解なのか分かりません。
ただ、曲がっていると回転させたときにぶれるので真っすぐになるよう磨いていたことは確かでしょう。
この時点で面取りくらいはやったかもしれません。
最初は四角の針を使い、使っているうちに角が取れて丸くなっていったという説もあります。
直径2〜3mmの極細管玉の孔あけに用いる石針は直径1mm程度が必要で、このように細い針状の石材を作る精密加工技術には驚かされます。

孔あけのやり方(想定される方式)

管玉の中心に孔を開ける方法について紹介します。
石針はいろいろな玉作遺跡で見つかっているものの、どのように把持してたのか(把持具)やどのように回転させていたのか(回転装置)などは見つかっていません。
考古学者によっていろいろな方法が想定されていますが、そのうちの2つを紹介します。
【石針の把持】
見つかっている石針の長さは長いもので、1.5〜2cm程度です。もっと短いものが多いのですが、使用している内に摩耗して短くなり捨てられたものです。
石針の把持方法 舞いきり方式 弓きり方法
石針による孔あけ想像図  イラスト:田口一宏

2mmの石針を指でもって扱うのは困難なので、細い竹に挟み込み把持したと考えられます。竹材を使うと芯を出しやすい(中心を保つこと)のが長所です。それでもまだ細くて使いにくいのでもう少し太い竹で2段に挟み込んだと想像されます。
竹に挟み込んだ石針をどのように回転させたのか、垂直回転なのか水平回転なのか、上の図では舞いきり方式と弓きり方式を使った孔あけの想像図を示しますが、実際には分かっていません。
当時、火起こしに使っていた方法の応用として推測されています。
ただし、この方法は実際に使われていたのか疑問です。
次の節「現代の玉作師」のところでのべますが、管玉の中心軸と回転軸を高精度で一致させる精密加工には適していないと考えます。
【孔開けの手順】
小松市埋蔵文化財センターでは、石針で孔を開けたと推定される手順を@予備穿孔 A本穿孔 という段階を想定した加工工程の仮説を出しています。
この手順は、使用された石針の形状や擦り傷、残された管玉未製品などから推測されている手順です。
@予備穿孔(準備穿孔)1: 管玉の片面に、中心となる位置にくぼみを付ける
A予備穿孔(準備穿孔)2:孔の直径を決めるため、少し孔を掘り下げる
B本穿孔(主穿孔) :孔を開けていく(管玉の長さにもよるが、長いものは半分まで掘り下げる)
C・D反対面の穿孔 :管玉の反対面の穿孔
E仕上げ穿孔:孔の内のデコボコをなくすため、孔サイズを均等に仕上げ穿孔
孔を開けるとき、金剛砂や水晶の粉末などの研磨剤を孔に入れて石針を回転させていました。 石針の材質や管玉材の硬さなどによっては、研磨剤を使わないこともあったようです。
孔あけ工程
孔あけ工程  穿孔手順 イラスト:石に石で穴をあける 小松市埋蔵文化財センターの図に加筆

細い竹による穿孔

従来の説明手法に対する疑問

これまで石針を使って管玉の穴を開ける手法を説明してきました。考古学の世界でもこのように考えらえています。
しかしながら、これまでに見つかっている20mm前後の石針で、20mm程の管玉に孔を開けられるか? という疑問が提示されています。
石針と管玉
石針と管玉の長さ(例示) イラスト:田口一宏

弥生時代にどのように石針を把持していたのかよく分かっていませんが、20mmの石針に把持具を付けたら有効長は10mm強になります。このため、管玉未製品の両側から孔を穿てば寸法的にはできないことなありません。
現に管玉の中に折れた石針が残されている失敗品が見つかっており、石針を使っていたことは確かです。
また、孔がまっすぐ貫通せずに段違いでつながっているものがあり、両方向から孔を開けていたことも確かです。
とはいえ、20mm前後の石針をどのように把持して回転させたのでしょうか?
このような疑問があり、穿孔は「魚の骨や細い竹を使い、水晶の粉末を介在させて」行っていた、という説が出てきました。

縄文時代のヒスイに開いた穴

新潟県の長者ヶ原遺跡から出土した縄文時代のヒスイの石片に穿孔途中の孔が開いていました。
おそらく垂玉(たれだま)にするために、孔を開けていた途中のようですが、なぜか貫通させる前に作業を中止したようです。
孔は約10mm(画像よりの推定)の円形ですが底面が丸く盛り上がっているのです。
ひすいに開いた孔 用いた竹筒?
用いた竹筒?
長者ヶ原遺跡で見つかったひすいに開いた孔  イラスト:田口一宏

このような孔が開くのは、中空の筒−考えられるのは竹筒を使ったと推定されます。ヒスイより少し硬い水晶の粉末を竹筒の先端に付け、ゴリゴリと回転させて孔を開けていったのでしょう。
再現実験がされたが、1時間に1mmも孔が開かなかった、と報告されています。
でもこの方法で硬いヒスイに孔が(というより、小さな窪み)が付けられたのは事実です。
  情報ソース: NHK 「教科書が変わる!? 日本人のルーツを探る旅」2015.12.27

竹ヒゴによる穿孔論

硬い研磨粉末を介在させれば軸は柔らかい物質でも石に孔を開けられるということです。
この事実から、弥生時代の管玉の孔あけも、細い竹ヒゴや魚の骨を用い水晶の粉末や金剛砂を介在させていたのではないかという考え方が出て来たのです。
竹ヒゴの多孔質の断面に水晶や金剛砂の粉末が食い込み、それが研磨材となって石を削り取っていくというプロセスがあり得ます。ただ、1mmの孔が開けられるのかという疑問もあります。
だとすると、石針は何のためにあるのでしょうか?
孔の中心を決める予備穿孔、孔の径を決める先付け穿孔には石針を用いたでしょうし、竹ヒゴで開けた孔の側面はきれいな筒状にならないと想像されるので、側面の仕上げに石針を使ったと言う考え方です。

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