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管玉の製作技法
玉の加工方法について第2章-第2節「玉の加工方法」に簡単に述べましたが、もう少し詳しく書いてみます。
石器加工の基本技術
石の加工は縄文時代より行われており、石の種類と適した用途、加工方法をよく知っていました。
弥生時代前期後半に朝鮮から入ってきた管玉を見た弥生人は驚いたはずです。それまでにも石斧や石包丁、石ナイフなどを作っており、石の加工法は知っていましたが、しかし、細い管玉に小さな穴が貫通しているのを見て、どのようにして加工したのか不思議がったでしょう。(勾玉などもあったけど、多くの人は見たこともなかったでしょう)。
管玉の作り方は、朝鮮から玉作工人とともに技術が伝わって来ました。
ただ、石の加工技術−割る・削る(剥離)・磨くなどのは通常の石器作りと共通で、細い孔を開ける技術さえマスターすれば、弥生人も見よう見まねで玉を作れたのではないでしょうか?
管玉作の一番のポイントは細い孔をあける石針を作る技術であったと考えます。
管玉作の技術
「基礎知識:玉の作り方」のところに4つの管玉製作技法をあげましたが、工程をもう少し詳しく見てみましょう。
原典は 島根県立古代出雲歴史博物館2009「輝く出雲ブランド」を小松市埋蔵文化財センターで一部加工引用したものに、今回追記しました。

技法X

一番古い技法で、まだ稚拙さが見られる技法です。
長瀬高浜技法とも呼ばれ、弥生時代前期に山陰や瀬戸内の一部の遺跡で使われていました。
柔らかい緑色凝灰岩を用い、割る作業を繰り返して、管玉の元となる四角柱を作っていました。
あまり長く使われることなく、技法Aへ移っていきます。
技法X
技法X   出典:島根県立古代出雲歴史博物館2009「輝く出雲ブランド」

技法A

技法Xより進んだ技術で、西川津技法とも呼ばれ、弥生時代前期から後期にわたって広く使われます。
次に述べる技法Bとは、原石の硬度や性質に応じて使い分けていたようです。
この技術は技法Xと同じく柔らかい緑色凝灰岩を用いますが、割り方に工夫が盛り込まれます。
@薄い板状に割る
A石鋸で溝を付けてそこに打撃を加えて割る
このことにより原石を効率的に使えます。
岩石の結晶構造や岩石の割れ方がある特定方向へ割れやすい劈開性(へきかいせい)という性質を持っているものがあり、昔の人たちはこの劈開性あるいは石目という割れやすい方向を見定めて石を割っていたようです。
緑色凝灰岩も水中での火山灰の堆積状況によっては層状に重なっていて、割れやすい方向(層理)があるようです。この方向に石鋸で溝を付け、そこに打撃を与えて薄い板状に割っていました。
技法A
技法A   出典:島根県立古代出雲歴史博物館2009「輝く出雲ブランド」

板状に割れた石をさらに管玉の太さに近い厚みまで磨いて薄くします。
その板状の石を管玉の太さの幅に溝を切って割っていきます。こうして得られた四角柱の石の角を磨いて円柱形に整えていきます。
最後に石針で孔を開けて管玉とします。
施溝分割
施溝分割  イラスト:田口一宏

技法B

技法Aでは加工できなかった硬い原石−碧玉や硬質緑色凝灰岩の加工に適した技法です。 弥生時代前期から後期にわたって、鉄器が普及するまで広く使われます。 大きくは2つの技法に分けられます。一つは、広い地域の玉作遺跡で使われる「大中の湖技法」ともう一つが、佐渡の玉作遺跡で使われる、佐渡の碧玉に適した「新穂技法」があります。広い地域で使われると書きましたが、細かく見ると地域によって加工方法に少しの違いがあるようです。
技法B
技法B   出典:島根県立古代出雲歴史博物館2009「輝く出雲ブランド」を加工

技法Aとの違いは、技法Aが層理に沿って板状に割れる硬度も低い原石を対象としており、技法Bは割れやすい方向がとくになく、硬い原石を対象としていました。
技法Aでは形割後の四角柱の石を砥石で研いで円形に仕上げていきましたが、技法Bでは石が硬いため砥石で厚み調整をしたり、四角柱の角(稜線)を磨くのは得策ではなく、押圧剥離というやり方で角を削り取り、その後、砥石で磨いていました。
押圧剥離
押圧剥離  イラスト:田口一宏

技法C

弥生時代後期になって鉄器が出現すると、加工方法が大きく変わり、鉄製タガネで効率よく石を割っていく手法が使われます。加工方法的には技法Xに似ています。
技法C
技法C   出典:島根県立古代出雲歴史博物館2009「輝く出雲ブランド」

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