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弥生時代:近江の玉作遺跡の具体例
野洲川下流域の玉作遺跡で代表的な遺跡の遺構・遺物について紹介します。
門ヶ町遺跡(弥生時代中期中頃:工房はあるが、関連遺物少なく副業的な玉作遺跡か)
草津市の門ヶ町遺跡は弥生時代中期中ごろに栄えた遺跡です。 この遺跡で複数の石器製作工房が見付かっていますが、木材加工や日常使いの石器の製作が主体でした。玉作も副業的に行っていたようで関連遺物が一式出ていますが、数量的には多くありませんでした。

遺跡のあるところ

門ヶ町遺跡遺跡
門ヶ町遺跡 遺構全体図
出典:門ヶ町遺跡発掘調査報告書(草津市教育委員会)
門ヶ町遺跡は、前項の市三宅東遺跡と同じように野洲川が作った沖積平野の氾濫原と扇状地の境界にあたるところに営まれた、弥生時代中期中ごろの玉作遺跡です。
大きな流路が遺跡周辺を巡っているような気配で、環濠集落の可能性があります。
約30年間22次にわたる発掘調査で集落の様子がある程度分かってきました。
発掘された範囲が狭いのですが、北部に建物跡が、南部に方形周溝墓群があります。
中央部〜東側がどうなのか不明です。
特徴的なことは;
@建物跡は、石器工房と見做されています。周囲に溝を持つ平地式の建物ばかりで、当時の一般的な竪穴建物は見付かっていません。
A方形周溝墓は溝を共有しており、墳丘は削平されて残っていません。

見つかった遺構

門ヶ町遺跡遺跡 遺構
門ヶ町遺跡 遺構遺構図
出典:門ヶ町遺跡発掘調査報告書(草津市教育委員会)
遺構北部の遺構図を示します。
この範囲に4棟の周溝を有する平地式の建物跡が見付かっています。
周溝内(建物内部)には、通常の竪穴建物に見られる竪穴と4本(多本もある)の柱穴が見られず、小穴が数多く見つかっています。簡単な屋根を支える臨時的な作業小屋で、期間も短かったようです。
建物、その周辺の遺物の量から見ると、ここで通常使いの石器を作り、時々は玉製品を作っていたと考えられています。
建物跡の内、1棟は小さく、市三宅東遺跡と同じような倉庫だったこともあり得ます。

見つかった遺物

通常使いの多種多様の石器が出ていますが、玉製品の遺物についてみてみると建物跡からの出土は少なく、建物周辺の溝や土坑から見つかっています。他の建物跡の出土状態も同様です。
元々、玉の製作量が少なく、役目終了時に原材料や工具は回収され、整備されたようです。一方、「廃品」として建屋周辺に捨てられた玉作関連遺物がそのまま残されたようです。
見付かったのは、緑色凝灰岩石材、管玉製品・未製品、剥片、砥石・石鋸などの工具です。
製品は管玉のみで合計7点になります。大多数は長さ15mm、直径5mm程度ですが、1点だけ極細の管玉(長さ5.5mm、直径2.1mm、穴径1.1mm)が出土しており搬入品と見られています。
管玉未製品は穿孔途中のものが数点ありました。
研磨に使われる金剛砂や研磨した時の研磨汁がしみ込んだ痕も見付かっています。

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