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古墳時代:近江の玉作遺跡の具体例
近江の玉作遺跡で代表的な遺跡の遺構・遺物について紹介します。
物部遺跡(弥生早期に湖北で大規模に玉作りを開始した遺跡)

遺跡のあるところ

物部遺跡の遺構
物部遺跡の遺構
出典:日本玉作大観 東海U を改変
湖北の北陸に近いところで、古墳時代早期に突然・忽然として出現、形成されたとしか言いようがない状況で高月町の物部遺跡での大規模な玉作が始まります。弥生時代後期後半、近畿では途絶えていた玉作を再開したのが隣接する高月南遺跡です。その影響下で管玉の製作を開始したものと考えられます..
まだ、未発見の玉作遺跡があるのかもしれませんが、いきなり大規模で・・・という点が、不思議です。
近畿では玉作は途絶えている、一方で北陸は玉作を続けている、原材料は直ぐ近くの北陸から入手できる、新しくスタートした初期大和政権が奈良にある・・・と言うような時勢から考えると、物部遺跡の誕生には地理的、時期的な必然性があり、背景に初期大和政権が浮かび上がるのですが、在地勢力の政治判断であるとの説もあります。

見付かった遺構

発掘調査の範囲で、竪穴建物が48棟見つかってそのうち18棟で玉作を行っていた痕跡があります。
竪穴建物には住まい用でも土坑があるのが普通ですが、工房にある土坑は形態が違っており、玉作作業に便利なように工夫されています。この形が、これ以降の玉作工房の基本形になるようです。
玉作工房とみなされる建物がが18棟、と言っても数十年続く玉作期間から考えると、常時2〜3棟が機能していたと考えられます。
物部遺跡の玉作工房
物部遺跡の玉作工房
出典:近江玉作研究ノート2(黒坂秀樹)
物部遺跡 玉作工房の玉作施設

物部遺跡 玉作工房の玉作施設
出典:近江玉作研究ノート2(黒坂秀樹)

見付かった遺物

近江の古墳玉作遺跡
近江の弥生玉作遺跡
出典:近江における弥生玉作研究(黒坂秀樹)をアップデート
基本的に硬質な碧玉・軟質の緑色凝灰岩などによる管玉を主体として製作しており、硬質材から軟質材へと徐々に移行する点がみられます。
そのほか、メノウ製管玉未成品1点とチップ数点および水品製小玉未成品と剥片・チップが少量認められます。
メノウ製管玉の工房は国内では数遺跡のみのようであり、その製品の出土も極めて少ないようで、ここでの製作が注目されます。

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